Spontaneous Loveという言葉について
今日の日本ヴェーダーンタ協会、Swami Medhasanandaji の講話に、神を愛するための実践のお話がありました。
その一例として、
母親は、赤ちゃんの世話が大変であっても、喜んで面倒を見る。
赤ちゃんがベッドに寝ていて、自分が台所にいる時でもいつも赤ちゃんのことを想っている。
というお話から「Spontaneous Love(自発的な愛、中から出ている愛)」という表現をされました。
ブッダの言葉(スッタニパータ)の中にも似た聖句があります。
あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
(第一 蛇の章・八「慈しみ」より/中村 元 訳)
母の愛…見返りを求めない、無償の愛、というのが一般的な認識だと思いますが、子育てをしている渦中には、そんな風に考えられませんでした。
心穏やかでいられた時のことは、ほんの数えるほどしか思い出せず、あとは殆ど、焦ったり自分の感情を押しつけたり…という苦い記憶ばかりです。
私自身がもっと早く、子どもが幼い頃に、ヴェーダーンタやブッダの教えを知っていたら、穏やかにSpontaneous Loveを感じながら子育てできたかもしれないなあ、と思います。
でも、目の前に現われる様々な大きさの波は、その時の自分がどうこう出来るわけではないので、波に乗ったり、くぐったり、ひっくり返ったりした結果、今はこの波に乗っているんだと解釈しています。そして今乗っているこの波がどこに行くのかは、今、この瞬間の自分の思考と行為によって決まるんだとも。
子どもに対してだけでなく、過去の自分の言動を後悔し過ぎず、かと言って、なかったことにせず…要は、過去の認知を自分色に染めずにきちんと受け止めてフィードバックする作業が大切だな、と痛感しています。
子どもはどんどん手を離れて、立場的にもほぼ逆転というか…親の方が心配されたり、労わられたりする今日この頃(。>﹏<。)
ついこの間まで、こんな日が来るなんて想像もしていなかったのですが。
でも、今からでも、改めて子どもや家族に対してSpontaneous Loveを感じながら接したいと思いました。
実践難しいけど、頑張ろうと思います。
「愛情」も努力だと思うので。
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