「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」(映画感想)
森達也監督の「A」「A2」でも被写体になっていた、元オウム真理教、現在はアレフの広報部長、荒木浩氏に、地下鉄サリン事件の被害者でもある、さかはらあつし監督が密着。
荒木氏個人にぐいぐい迫り、言葉を紡がせようとする内容でした。
さかはら監督の事は、事件から20年後くらいの時だったかな…被害者としてメディアにちょっと出ていて、その頃から、映画を作っている、クラファンをやっている、というのをどこかで読んだ気がします。ずっと後遺症に苦しんでいるという話も、その時聞きました 。
今回、映画が公開されて、観たいとは思ってたんだけど、何せ公開規模が小さくて。
でも、この度、宝塚シネ・ピピアの「2021秀作映画特集」で上映してくれたので、行ってきました!
「A」の頃から約四半世紀経った荒木氏は、やっぱりそれなりに外見が変わり、顔色からあんまり栄養状態が良くないんじゃないかと思わせられました。映画の中で、幼い頃腎臓を患って入院をしたという思い出が語られたので、肌が何となく赤黒いのはそのせいかも…とか。
2人は同郷で、大学も同じ京大ということで、東京から京都へ一緒に旅をします。
さかはら氏は、最初から明確に撮りたい絵があるようで、全体的にこの監督のリードで旅の中のやり取りは続きます。
最初はちょっと強引だなあ…と思いましたが、このさかはら氏は何と言っても「被害者」であって、荒木氏への言葉に怒りやいら立ちが混じるのは仕方のない事なんだろうな、と感じました。
そして何より、この荒木氏の性格・・・「A」「A2」の頃と基本的には何も変わっていないというか、本当に誠実で、嘘がつけない、Noと言えない人。
だから、さかはら氏からの取材も断れなかったんじゃないかと思います。どう考えても、良い方に転がる筈がないのに。
アレフの広報部長としての思惑もあるのかもしれないけど…やっぱり彼の人間味。
そんな荒木氏ですが、さかはら氏が焦れて、謝ってほしい、と促すシーンが数回出てきて、それにはめちゃくちゃ逡巡します。
自分が謝るのは違うと思っているのか、それともオウムの犯行そのものを信じていないのか…彼はずっとずっと迷い続けているように見えます。
そして「A」を観た時から思ってたんだけど・・・この人、言葉を信じていない、というか、どんなに言葉を尽くしても正確には伝わらない、という諦観があるんだと思う。
オウム時代から、広報としてメディアに翻弄されたからなのか、それとも、もっと前からなのか・・・
小学生時代に物欲を失ったあるエピソードや、弟さんの病気(が疑われた)話などが語られます。とても繊細で、ガラスのように儚い感情の記憶。
確かに世俗で生きるのは難しい人かも。
彼はこの映画の中で、麻原彰晃を今でもグル(導師)と崇め、帰依していることを明言しています。
やっぱり大学で麻原彰晃の説法に出会ってしまったことが、傍から見たら大災難であり、今でも帰依していることは理解されないことでしょうけど、彼自身はそれを全て、自身のカルマとして背負っているという自覚で生きているんだと思う。
映画の被写体になったり、その中で被害者の親(監督の両親も登場します)に詰められたり、そういったこともすべてカルマでありタパッシャー・・・そう考えて断らずにすべてを受け入れているんだと思う。
だけど、それは彼が目指す解脱への道なのかなあ。
ラストは、2015年。事件から20年経って、現場になった霞ヶ関駅での慰霊式に参加した彼が大勢の記者に囲まれます。
隣にいるさかはら氏から「ちゃんと謝ったら?」と促されても、謝罪の言葉を言えない。
軽々に「申し訳ありません」と言うのは彼にとっては「嘘」なんでしょう。そして嘘をつけないことで、本当の想いが伝わらないことで苦しんでいる。その苦しみを修行と思っている…
頑なで、弱い人。
そんな印象を持ちました。
0コメント