「はじまりは愛着から」
静かなお正月。
去年の今頃は、当時中学2年生だった息子が、思春期特有の行動に走り、ずっしり重い雰囲気だったことを思い出します・・・
1年前は、もう中学卒業後は、彼の居場所はどこにもないんじゃないかと思うくらい、親は不安でした。
それを思うと、今は、へらっとしながらも、来月の高校受験に向けて頑張っている姿が奇跡のように感じられます。
去年、尊敬する佐々木正美先生がお亡くなりになりました。
息子がつまづく前から、この先生の「暮しの手帖」の連載エッセイをいつも激しく頷きながら読んでいて、実際、息子とぶつかった時は、気がついたら「抱きしめよう、わが子のぜんぶ」を繰り返し読んでいました。
去年の末、息子の様子を見ていて、すっ、と安心する瞬間があって、その時手元にあったのは「はじまりは愛着から」。
「思春期危機」という用語や概念があります。思春期に訪れる一種の心理的な危機状態は、誰もが経験するもので、それをくぐり抜けるための努力と悩みは思春期特有の美しい心理的混乱でもあります。自分の人間としての本質を見いだし、希望をもって生きていくための苦悩なのです。
(P142 「希望をもって生きるための苦悩」)
(略)アイディンティティ形成過程の不安や苦悩が、思春期のつまずきであり、混乱なのです。自分が自分に寄せる希望や願望と、他者の評価による差や乖離を埋めあわせる生き様が、苦悩、混乱、努力で象徴される思春期の実体です。やりたいこととやれること、なりたいものとなれるものの間にある葛藤こそ、普通の正常な思春期の姿であり、それは誰もが程度の差こそあれ、通り過ぎなくてはならない思春期を生きる営みなのです。
(P151 「主観と客観の世界、その対峙」)
私も思春期を大変に盛大に拗らせた方なので、自分の過去を思うと今でも胸が痛くなります。
でも、そのおかげというか、自分の経験があったから、息子の道草も「まあしゃあないな~私の子だし・・・気持ち解るわ・・・」と思うことが出来ました。
そして、そんなふうに道草くったり拗らせたりしても、佐々木先生のお言葉通り、それが、希望をもって生きていくための苦悩であるなら、きちんと経験しておいた方が良い、とも思いました。
勿論その渦中はしんどいけどね!お先真っ暗な気持ちになるけどね!(´゚Д゚`;)
でも過ぎてしまえば、今生のちょっとしたエピソード、って気持ちになれます。
何より私には、YOGAという最強のツールが味方をしてくれまして、YOGAをしている時は、子どものことも他のこともなにもかも忘れて、自分の内側に没頭することが出来ました。
そのことが、結果、自分を解放し、母に過干渉される子どもも解放されたのだと思います。
子ども(=他者)をあれこれ思い煩うより、まず子どもに執着する自分を何とかしなければ・・・!と思えるようになりました。
そう、「愛着」と「執着」は紙一重だけど、全然違うものなのですよね。
子どもと過ごすことは、たくさんの大事なことを自分に教えてくれます。
生きていてくれればそれで良し!です(*´▽`*)
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