両親の引っ越し

今年81歳と79歳になる父母が、埼玉県(新宿湘南ライン沿線)から、東京都内の高齢者向けマンションに引っ越しました。

まだ介護の必要もなく何とか2人で暮らしていたのですが、こうなるに至った経緯やエピソードなど、記録として、子ども視点で書いておきたいと思います。

我が家は、父の仕事の転勤でとにかく引っ越しが多い家庭でした。

私が高校生の頃、父が脱サラした為やっと落ち着くことになって、その後、マンションに住み替えて28年経っていました。

今年のお正月に、母が旅行先で倒れたことが、引っ越しのきっかけ・その1、という感じです。それがたまたま京都で、私が住んでいる兵庫から近かったことが幸いして、車で我が家に近い病院に運んで入院させることが出来ました。

病名は「良性発作性頭位めまい症」とのことで、大事には至らず一安心。ですが、ほんの数日の入院で筋力が著しく衰えてしまい、退院して埼玉に帰るのにも複数の付き添いが必要でした。

そして母の入院中に、父から、2人の生活がコロナ禍によって大きく変わってしまっていたことを聞きました。

食事がおざなりになり、外に出ることもなく、母は毎日、新聞やニュースでコロナ感染者数を追いかけてばかりいると知って愕然…。

コロナ禍の最中も、私は数か月に1度は会いに帰っていて、実は、2021年の秋くらいに、ちょっとした違和感を感じてはいました。

自分から話題を振ってきたのに、それにリアクションしても全然聞かず他の話始めたり、とか、あと、台所(ガス台)を使っている形跡がないな…とか。

これを機に、かかりつけの内科の他に、地元の耳鼻科にもきちんと診てもらうことと、それから妹の提案もあり、認知症の検査も受けてもらいました。

認知症の検査は、もっと嫌がるかと思ったけど案外すんなりと行ってくれたので、本人も少し不安があったのかもしれません。

結果はどちらも異常なしで、その時は本当にホッとしたのですが…。

母が順調に回復して、倒れる前より元気になった!と喜んだのもつかの間、今度は身内の大きな病気が判明して、それが、きっかけ・その2、です。
特に父は、母が元気になっても、またあの時のように倒れられたらどうしよう・・・という心配は残っていて、そこにもう1つの大きなショックが重なり、今度は父の具合が悪くなりました。

この2つの出来事で、子ども達で話し合い、父に、シニアマンションへの転居を提案したところ、同意が得られました。

一時は母が嫌がったり、と、マンションの契約をするまではヒヤヒヤしましたが、どうにかこうにか引っ越して、少しずつ落ち着いてきています。

最後まで今の家で暮らしたい、と両親ともに思っていた筈ですが、最終的に引っ越しを了解してくれた理由は、やっぱりコロナ禍による劇的な生活の変化と、それに伴う急な老化でした。

特に母はどんどん料理をしなく(出来なく)なり、2人でいつも同じような出来合いのものばかり食べていたみたいです。外食もコロナ禍では開いているお店が少なくて、しょっちゅう同じ店に行っていると聞いてました。

そんな訳で、シニアマンションは、食事のサービスがあるところを選びました。希望予約制で食堂に行って食べられるというもの。

それから両親は犬を飼っているので、ペット可のところ。犬も新しい環境に慣れてくれるかどうか皆で心配したけど、今のところ新居で一番のびのびしてるみたいです🐕

引っ越しは28年分の荷物を全部持っていける訳もなく、とにかく減らして減らして、殆どを置いていきました。なので以前のマンションはまだ片付いていませんが、一刻を争うということでもないので、その点は少し気が楽。

今回のことで、親の老いと向き合うというか、いつかは来るその日に向けてのカウントダウンが始まったという…辛くもあるけれども、避けては通れない道なので。

とはいえ、両親はまだ介護保険を使うことなく暮らせているので、本人達さえ前向きになってくれれば、ここからが、遊行期どころかまだまだ林住期!な筈なんですが。

身体と心がばっちり連動して、初めて体験する「老い」に打ちのめされてる様子は、見てて切なくなったり…。

今回の出来事で、結局人は、昨日の続きで生きていくんだなあ…なんて思いました。何かがあったからと言って、その瞬間から180度考えを変えて生き直す、なんてことは余程のことがない限り難しいのだと。

日頃から柔軟に物事を受け止め考えていれば、そのように年を重ねていける。

でも、何かに執着を持っていると、その拘りは年をとったからと言って飽きることはなく、むしろどんどん手放せなくなるんだな…。

特に、戦後の物のない時代→高度経済成長期→バブル期…と、ひたすら欲望を膨らませてきて、今、晩年が重なっている人達って、善く生きることの土台に「経済」を思う人が多い気がします。そういう世代に育てられた自分は、もちろん「お金はあればあるだけ良い」と擦り込まれてきましたが、そりゃそうかも知れないけど、最低限の物とお金で生きていける強さといい加減さが欲しい、といつも思います。

私は日頃から

「あってもいい なくてもいい なくなってもいい」

という言葉を、マントラのように心で唱えているけれど、それをどこまで実践できているか。

実際、ほんとうになくなったらどう生きるか。

なくなっても、笑って死んでいけるだろうか。

なんてことを思うようになりました。

暫くは、両親の様子見で、東京との往復が続きそうです。

ゆとりらYOGA

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