AUM考
関西~中部では長雨で大きな被害が出ていますね。関東は昨晩大きな地震があったようですし・・・自然が何かを伝えようとしているんでしょうか。
まだ危険な地域の方々、どうぞ気をつけて下さい。
さてタイトルの件。
教組以下、計7名が1日の内に死刑執行というニュースを聞いて、23年前の記憶が一気に甦りました。
私は当時、両親との絶縁状態が3年ほど続いていた頃で、丸ノ内線の沿線で1人暮らしをしていました。
この年の1月、阪神淡路大震災があり、アパートで1人、崩れた高速道路や、燃える神戸の街の映像を見た時のショックもありました(10代の頃5年間ほど阪神間に住んでいたので馴染みのある街でした)。
この頃の自分は相当疲弊していたのだと思います。
何より、親と和解したい、いつまでもこのままでは自分は行き詰まる、と悩んでいた矢先の事でした。
あの日の朝のTV映像は地獄絵図のようでした・・・。
地下鉄サリン事件のニュース映像を見て、衝撃を受けましたが、仕事はどうなるだろう?とりあえず様子を見に行こう、と駅に向かいました。
丸ノ内線が乗り入れているその駅は大パニックになっていました。
サリンが撒かれた車両が止まっている駅からはだいぶ離れていたのですが、当然のことながら地下鉄はほぼ全線がストップ。皆、何が起こっているのかわからないまま、恐怖で混乱状態が続いていて。
気づいたら私は駅の公衆電話から父に電話をしていました(まだ携帯は持っていませんでした)。
今思い返しても、その時逡巡した記憶がないので、本当に「思わず」という行動だったと思います。
父は私と分かると、以前と全く変わらない様子で、でも、大丈夫か?心配してたとこだよ、と応えてくれて、さらりと「1度家に来なさいよ」と言って、3年間という塀をあっさり取り払ってくれました。
以前から、オウム真理教という団体は非常に胡散臭いと思って見ていましたが、その2日後、富士山の麓の集落に強制捜査が入り、世間は「ああ、やっぱりあの集団の仕業か」という空気になったと記憶しています。
オウム真理教の一連の犯罪によって犠牲になった方々は本当にお気の毒としか言いようがないですが、
特に、あの1995年3月20日の事件は、直接の被害に遭わなかった人にも大きな影響を与えたのではないか、と思います。
私は、(あくまでも結果的にということだけど)あの事件がきっかけで、肉親と関係を戻すことが出来た。
だから、あの教団の実体がどういうものなのか、ずっと興味がありました。
そして昨日、7名が天に還ったと知って、これだけ大きなニュースになるのは、23年前と今の自分を含めた時の流れを噛み締める人が多いからだろう、と思いました。
(私は、現世でどんな悪行をした人であっても、肉体を離れたら1度天に還ると信じています。)
私はあの日から数年後、まったくあの団体とは関係ないところでYOGAに出会い、そして、ヒンドゥイズムや仏教に繋がるインド哲学を学ぶようになりました。
瞑想の前後にはいつも「OM Shanti Shanti Shantih」と唱えます。
「OM」は「AUM」=オウム(アウム→オウム) です。
「A」が誕生(過去)
「U」が維持(現在)
「M」が破壊(未来)
この「破壊」というのがある意味くせ者なんですが、決して、今の状況を暴力的にぶっ壊して良いということではないのです。
誕生、維持、破壊は、それぞれヒンドゥー教3柱の神が司ると言われてます。
シヴァ神、ヴィシュヌ神などの神の名前を聞いたことある方もいらっしゃるのでは?
創造神はブラフマー、保護神はヴィシュヌ、破壊神はシヴァとも言われています。
この世のすべてのものは、ある日この世に生まれ、ある期間この世で過ごし、そしてある日必ず死にます。
「破壊」というのはこの世を去ることを指し、それは、誕生と維持の先にあり、その破壊の先はまた誕生がある。
輪廻の1つに過ぎません。
そのAUMの教義をテロや悪行の大儀にして良い訳はありません。
宗教とは、決して怪しいものではなく、現世を辛く苦しいと感じる人や、人生により深い意味を見いだしたいと思う人に大きく開かれた桃源郷のようなものだと思います。
今の「当たり前」が、本当は「当たり前ではない」のだと気づいた時、その人は信仰の扉を開くのだと思います。
※私が思う「宗教」は既存の宗教団体に属することではなく、偶像を拝むことでもなく、ただ、自分の中の「神さま的な何か」に気づくことです。
今、本やネットで見られる、オウムの教義を読んでも、全く心を動かされることはないけれど(ついでに「ひかりの輪」の教組の方の説法が今ネットでたくさん見られますが、良いこと言ってる気がしますけど全く刺さりません。気持ち良いくらいスルー出来ます)。
一方で、宗教団体を名乗って大きな犯罪を犯した、彼らの心の在りようが理解できない、というもどかしさがずっとあります。
余りにも大きな罪と代償だと感じます。
どうしてなのか
何を目指していたのか
YOGAをする者として、考え続ける必要があると思っています。
オウム真理教の内部については、やっぱり森達也監督の映画や書籍が1番肉迫してると思います。
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