きちんと傷つく ということについて

タイトルの言葉を、ここ数年、心の片隅で考え続けていました。

※ここで言う「傷」は主に心のそれを指します。

この瞬間、自分は傷ついているのか

そもそも、傷つくってなんなのか

怒りや悲しみに繋がる感覚のことをいうのか

こだわりや執着の原因としてはどうか

癒えない傷はあるのか

自覚がないものは傷とは言わないのか

そもそも、傷つくってなんなのか・・・🌀

YOGAと一緒に歩んでいると、「傷ついている人」「昔負った傷が癒えない人」に出会うことが多くあります。

勿論それは、本人が言葉で「凄く傷ついています」とは言いませんが、言葉の端からフチから傷ついた自分が溢れ出ている人もいます。

アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー=ロス氏の有名な「死の受容のプロセス」

否認→怒り→取り引き(没頭)→抑うつ(あきらめ)→受容

心の傷というのは、(オーバーなようですが)心の一部が死ぬということを言うのだと私は思います。

時が経って忘れることが出来たら、それは幸いなこと。だけどいつまでも忘れられない傷もある。

私がこんな目に遭うなんて、嘘でしょう、と否認し

なぜ私が、私だけが、と怒り

傷ついた自分が縋れる場所を探し

起きてしまった事実を思い返しては落ち込み

最後には自分の傷を受け入れる

書いてるだけでしんどい・・・

でも、(この通りには行かなくても)傷ついたことから逃げようとすると、そこから立ち直るまでに、結果長い時間がかかるような気がします。

時によっては、逃げ続けるために大きな犠牲を払う可能性もあります。

代替行為としての、アルコールやドラッグ、買い物や食欲(いわゆる摂食障害)などなど。

心の傷というものは、傍からは見えないものだから、周りがいつも気遣ったり慰めてくれるものでもない。

また、身体の傷のように、自分自身でさえ日々ふさがっていく様子が見えるわけでもない。

だからこそ逃げたくなるんですけど。


私自身は、YOGAを始めてから、35年以上前に負った傷がぶわ~っとフラッシュバックして、ああ、当時はたいして傷ついてないと思ったけど、ただ傷ついた心を直視していなかっただけだったんだ、と気づきました。

もっと早くにきちんと向き合っていたら、こんなに時間かからなかったかもしれないですけど、仕方ない。

逃げ続けていた代償は払わねば、と腹を括ったら、その後はだいぶ楽になりました。でも勿論なかったことには出来ない。

だから最終的には傷を受容することが、残りの心身を使って生きていくための大事な行動ではないかと思っています。

きちんと傷つく、ということは、辛くても、その傷をじっくり観察し、否定や怒りの心を無視しないこと。

傷ついた上に、その傷とさらに向き合うのは苦痛でしかないけれど、ここを逃げると、傷が癒えないどころか、様々な合併症を引き起こす。

腹を括るしかないのです。


YOGAは、自分の内なるものと外なるもの、両方ともにしっかりと向き合う力を養ってくれる技法だと思います。

向き合うためのアサナであり呼吸法であり、瞑想。

傷を傷として受け入れて、その上で強く生きていきたいと思いYOGAをしています。


ゆとりらYOGA

兵庫県西宮市の自宅スペース他、あちこちで、ヨーガ療法を主体にした YOGAをお伝えしています。 お問合せは、下のメールフォームか、 yutorelayoga☆gmail.com(☆を@に変えて下さい) までどうぞ。

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