映画「祈りのちから」を観て思ったこと。


全く予備知識なしで、タイトルに魅かれて鑑賞しました。

牧師でもあり映画製作者としても活躍するアレックス・ケンドリックが弟スティーブンとともに手がけたヒューマンドラマ。老婆クララは家を売却するため、不動産業者のエリザベスを呼ぶ。エリザベスは夫トニーや幼い娘と幸せな毎日を送っているかに見えたが、実は彼ら家族はある問題を抱えていた。その問題に気づいたクララは、祈りの部屋として使用している自宅のウォークインクローゼットにエリザベスを案内する。クララから勧められ渋々ながらも祈りはじめるエリザベスだったが、祈り続けるうちに不思議な出来事が起きはじめる。(映画.comより)


え~っと・・・正直、映画としてはアレな感じでヾ(ω` )/
キャストとか音楽とか、何だかTVドラマっぽい感じで、観てて「なんか・・・安い・・・」と思ってしまったんですが。



タイトルに魅かれたというのは、インド聖典勉強会に参加して「祈る」ことの大切さを繰り返し教えて頂いているからです。

こういうと、とっても宗教的で、もっというと、ちょっと危ない系の話と思われるかもしれませんが、特定の宗教の話ではなく、ただ「祈る」ということ。
(ただし、この映画はバリッバリのカトリック教徒のお話でした!)


「祈る」ことはバクティ・ヨーガです。そしてバクティとは「献身」「信愛」等の意味を持ちます。
・・・それはいったい何に対してか?

呼び名はいろいろあるでしょうが
「神様」「仏様」「おてんとう様」「Jesus Christ」・・・
生物学者の村上和雄先生は「サムシング・グレート」という名を考案されてますね。



要は、
自分の中にある、だけど、自分より大きな存在。
自分の力では抗うことのできない絶対的な存在。
自分が生かされているおおもとの存在。

そういったものをイメージして(信じて)「祈る」ということだと思います。


実は、つい先頃、従兄弟が52歳で急逝しました。
30年近く会っていませんでしたが、小さい頃はよく遊んで、思い出も沢山あったので、急に逝ってしまったことに愕然として、今でも受け止めきれてない気持ちで。

でも、尊敬する方から「祈ること。いつもいつも祈ること。」というアドバイスを頂きました。

祈るということは「思い出す」「偲ぶ」「感謝する」と順にその人への想いが深まっていくんだな・・・と。

そして、想っているその瞬間は、その人は確実に私の中で生きているんだということも実感しています。

(古い映画をDVDで観ていると、出演者はもうこの世にはいないのに、観ている間は画面の中で生きて動いていますよね。イメージとしてはそんな感じ。)


その祈りを、特定の人だけにではなく、自分の過去の思い出や、今の生活や感情に向けると、そこから、自分の指針が浮かび上がってくる気がします。

そして何より、自分が生かされてるという超事実!を再認識できますね。


で、映画「祈りのちから」に戻りますと。

この中で、主人公の女性は、ある年上の女性から(半ば強引な)助言を受けて、自宅のクローゼットを「祈りの部屋」にして、そこで静かに過ごす時間をとりはじめます。
すると、紆余曲折はありながらも、家庭内も仕事もうまく回り、皆が幸せになっていきます!

・・・こう書くと非常にベタなストーリーなんですが・・・


これは、神様に一心に祈ることで、神様が願いを叶えて下さった・・・というようなファンタジーではなく、祈ることによって、この女性の心の働きが変化して、言動も変わっていった、という非常に現実的なお話だと解釈しました。
ただまあ、この作品の中では、そういった変化も全て、Jesus Christのお蔭です!ありがとう神様!って帰着になってます(で、それはもちろんクリスチャンにとっての真理だと思います)。

映画館は3~4割くらいの入りだったんですが、後半はあちこちから啜り泣きが・・・
やっぱり「祈る」ことの大事さを分かる人達が観に来てるんだなあ~と(私も勿論じわんときました!)


最後にもう1本ご紹介。

2年くらい前に公開された作品。「祈りのちから」ほど宗教色は強くない。臨死体験した男の子と父親が主人公。実話だそうですが、道理で!っていうくらい淡々とした展開で妙にリアルでした。

ゆとりらYOGA

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