「ビリギャル」著者の言葉
私、「ビリギャル」作者の坪田信貴氏の本も映画も全く未経験なんですが、たまたま聴いていたラジオ(東京のAM番組を某動画サイトで;ω;`)でゲストに出てまして、以下のコメントが心に残りました。
「僕は個人的には、正直、勉強ってどうでもいいんじゃないかなと思ってるんですよ。ぶっちゃけ。だけど、たかだか成績が悪いくらいで親子関係が悪くなったりするじゃないですか。そこが納得いかなくて・・・。こんだけ愛してるんだったら、勉強できなくったって、学年でビリだっていいじゃん、と。何でそんなに叱らなきゃいけないの?と。」
・・・で、この後、勉強できない子を叱らない方法、ではなく、如何に子供の学力を伸ばすか、という話になっていくんですが(¯―¯٥)
親が子どもに出来ることって、実はそんなに多くはないな、と私は思っていて、学力を上げるとか、何かで1番にさせるとか、そういうことは目に見えやすいから親も、頑張ろうって思いやすいんだと想像します。
でも本当にしなきゃいけないことって何かな、というのは、子どもが成長するにつれて私なりに考えてきて、要は、子どもが成長して家を出るまでは、とりあえず、お腹すかせないように、寒くないように気を配る、くらいしかないんじゃないかと。
私はYOGAを知ってから、人生の究極の目的は、如何にジタバタせず、今生に未練を残さず肉体を脱ぐか?だと思っているから、その間の年月はどう生きようが本当に人それぞれだと思う。
で、自分はとにかく学校の勉強というものがだいだいだいの大嫌い!だったので、当時まったく勉強しなかったし(親の手前勉強するふりはしてたね)、高校も短大も適当にすべり込んで、とにかく卒業できるギリッギリの出席日数と成績で、あとは遊び呆けてました。
・・・結果、社会に出てから「やっぱ学歴って大事なんだな」とか「あの時ちゃんと勉強しとけば良かったな」とか散々思いましたけど・・・でもだからと言ってあの頃に戻りたいとは思わない。そういう後悔もあって、今は自分の生きたいように生きさせて貰ってるから、全部必然としか思えない。
で、今、そんな風に思える自分を生んでくれた両親にはすっごく感謝してます。
坪田氏の話に戻ると
子どもが自主的に勉強するようになるには?というリスナーからの質問に対して、
「子どもにやらせたいと思うことを、親も好きになること。自分が勉強好きじゃないのに子どもにやらせようとするのは、面白くない奴が、人に、お前面白くなれよって言ってるようなもん。」
と答えていらっしゃいました。正論!
これを聴いて私は、我が子に勉強しろしろって言うのは無理だわ・・・と改めて思いました。
実際、自分が親に勉強しろしろって言われた記憶は、いや~~な思い出でしかないし(|||O⌓O;)
ただ、私は、学校の勉強はできることならきちんとやって、成績も悪いより良い方が絶対「お得」だとは思います。
私はそれをしなかったために、実社会で散々痛い思いもしたし、恥もかいたし、今も、学校ちゃんと行ってたら当然知ってる筈の基礎学力が、絶対的に足りてない(って居直っちゃいけませんね・・・)。
何事もほどほどに頑張るか、抜くとこ思いっきり抜いて、やりたいことだけやってくか。
どっちを選んでも、その結果を背負うのは自分自身です。
それは子どもの頃から自分で選ぶべきです。
そしてそれが親の想いと合致したら、結果がどうであれ、親子共々とっても幸せでしょうね。
でも、そうでなくても、親と子って繋がりだけで幸せですね。
自分が子どもの時にはそんな風にはまったく思いませんでしたが・・・親の老い先が短くなってきたので、最近そんなことをよく考えるようになりました。
親が元気なうちに、勉強しなかったことやらその他山のようにかけた迷惑を謝っておかないと!
↑すっごい売れたんだねこれ・・・もう文庫本になってました。
カスタマーレビューが400件以上・・・!
0コメント