時事ネタです。前文科事務次官と埼玉4区の女性議員の話。
私は現在、TVは殆ど見てなくて、ニュースは専ら朝日新聞とTBSラジオのポッドキャストで入手します。
(朝日新聞は、実家でずっととっていたからというだけで深い意味はありません。習慣でとってるだけって感じ。時々、読売新聞の人生相談とか読むと面白い~と思うけど、切り替えようとまでは思わない。)
TBSラジオということは、自然とニュースは毎日新聞系になり、朝日・毎日という、所謂リベラル紙の情報がメインに入ってくる、ということになります。
でも、最近の政治ネタはとにかくうっとおしいくらい賑やかで、もうかたっぽう(保守系)の見方も知りたいな、と思う。
なので、読売や産経を支持する人たちのコメントをYouTubeで音声だけ聴いたり(ニッポン放送はかなり右寄り!)。
すると、1つの事例に対して、よくもこんなに違った解釈ができるな、と思う程、真逆だったりします。
例えば直近の例だと、加計学園問題。
前川前文科事務次官がついこの間、日本記者クラブで行った記者会見。
全編聴きましたけど、非常に理路整然としていて、反省すべきところはきちんと認めて、その上で、身を挺して立ち上がったその姿に感動を覚えました。
何より、非常に真面目で誠実な人だなあ、と。2時間の記者会見で、綻びが見えないのが凄いなって。
(でもまあ出会い系バーってどんなんや、とは思うケド)
で、左派の人達は、前川氏を褒め称えて、安倍首相とそのお友達を徹底追及だ!と息巻く。
右派の人達は、前川氏が現役の時に何故告発しなかったのか?出会い系バーとか行くような人の言うこと信じるんか!と叩く。
同じ会見なのに見てるところがまったく違う。
しかも真っ二つに分かれる、というのではなく、皆それぞれに見立てが違う。
そもそもの思い込みの上に、自分の見立てを乗せることで、各々が見たい「現実」を作り上げてるなあ~と思う。
で、こういうことは、もっともっと小さなレベルで、私達の生活の中でも日常茶飯事で、更に1人1人の内面でも複数の見立てがせめぎ合い(「迷い」とも言いますね)、それが再びもっともっと大きくなって、内閣と国会が何だかしょうもないことでガッタガタになっているような気がします。
内界と外界は合わせ鏡、ってやつです。
つい先日、ある女性議員が秘書にものすごい暴言・暴行を働いたって告発されて、音声が出まくってますよね。
あれとか本当に聴き苦しいけど、単に「ひどすぎる」「信じられない」「いやはやいやはや」みたいな感情で片づけてしまうのも何か違う気がする。
スーパーエリートの闇・・・的な報道もされてて、ゴシップとしては相当「悪趣味故に面白い」案件ではあるんですけど!
加計問題にしろこのパワハラにしろ(森友問題とかもきっとそう)こういうガッタガタな事象を知ると、「良心」とか「善」の存在をどう位置付けるか?を思います・・・。
誰しも持っているけれども、それよりも大事なものがあるのか。
持っていることを忘れてしまっているのか。
最初からそんなものは信じていないのか。
あるいは、そのもののために、一見対極にあるような行動を敢えてとってしまうのか。
などなど。
私なりに思うのは、
誰でも本来は「良心」や「善」を根底に持っているのに、そこから湧き出る気持ちで動くのではなく、
「良心」や「善」を外側に示すことを目的にして動くから
後ろめたいことがあるとそれを隠そうとして
しかし隠すと言っても完全に蓋をするとその感情がぶつぶつと発酵し
逆噴射を起こすのでは?
あとは、「良心」や「善」よりも「金銭」「名声」「権力」の方が価値あるものと思うと、逆噴射起きやすいだろうなあ・・・
識別って大事だな、と思います。
あと、豊田議員は暫く療養したあと、YOGAやったら落ち着くと思います!マジで!
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