「ボストン市庁舎」(映画感想)
去年、公開された時から興味はあったんですが、274分!の超長編作品と知り、なかなか行けずにいました(歌舞伎より長いじゃん…)。
でも、フレデリック・ワイズマン監督作品は長くても面白い事を知っている!「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」も「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」も静かな傑作だった!
という訳で、休憩含めて5時間の映画体験…やっぱり行って良かった。
素晴らしかった!
アイルランド移民で、カトリック信者のマーティン・ウォルシュ市長。
この方の活躍ぶりと演説に心を揺さぶられて、それに呼応するかのようにきちんと声を挙げる市民たちの姿にも感動しました。
「エクス・リブリス」でもそうだったけど、ワイズマン監督の切り取るシーンは、市井の人々の前向きで心のこもった言動が多い。
ボストンは移民の街で、治安の良くない地域もあるらしい。だけど暴力的な場面は一切なく、ここに映されるのは、ブラックもラテン系もアジア系も、皆、感情をきちんと律しながら自分の言葉で雄弁に語る人ばかり。
ボストンの美しい景色と、冷静な語り合いのシーンの交差だけなのに、眠くもならず、むしろどんどん高揚していく感じ。この感覚、何だろう…?
市が関わっている行事に、ウォルシュ市長がきちんと「実のある参加」をしているシーンにも心を打たれました。
それは勿論、選挙活動のためという側面もあるだろうけど(現在は市長を辞任して、バイデン政権下で労働長官を務めているそうです)、障碍者の食事会で、グレイビーソースを持って各テーブルを回ったり、退役軍人の集まりでは、自身もアルコール依存症と闘っている事を開示したり…。
日本の議員さんって、学校の式典にちょっとだけ顔を出して帰っちゃったり、選挙の直前だけ駅前に立ったり、そんなイメージが大きいので、この違い…!って。
貧困地区に住む人達、差別されている人達も、この映画を観る限り、きちんと言葉を持っている。そしてその言葉は、恫喝や暴言や皮肉ではなく、「あなたの話を聞くから私の話も聞いて」というスタンス。
今の自分に、考えの違う人に対して、冷静にきちんと届く言葉を発せられるだろうか・・・コロナ禍で、じっくりと話す機会が減っているし…そう思うと、じんわり凹んだりもしましたが😔
この映画は、冷静な言葉と視点の中に解決の道筋がある、と教えてくれているのだと思います。
ところで、ワイズマンのドキュメンタリーは、ナレーションやキャプションが一切なくて、それがこちらに一種の緊張を投げてくる感じが好き(寝るなよ~的な🥱)
で、今回も、風景と語り合いがひたすら続く、静かな作品なんですが、カットの切り替えが「すぱん!」と唐突かつ短いのが、はっ!とする。
はい、次行くよ!と言われている感覚。
そして、時折、ゴミ収集車が粗大ごみを飲み込んでいく様子や、街路樹の枝がばっさり切り落とされる描写が割と長尺で入り、そういうところも、メリハリだけじゃなく、観てる側へのメッセージの1つなんじゃないか、と思いました。
長いけど!面白い!
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