「東京物語」(1958)を観て家族関係について考えたこと(映画感想)

その昔、「名作だから」「小津だから」という理由でビデオで見て以来でした。スクリーンで観るのは初めて。

原節子の優美さと、全編のーんびりしてたことくらいしか覚えてなかった…改めて観たら、リアルだし、ある種のハッピーエンドだし、初見の時とはまるで響き方が違いました。

老夫婦が子どもや孫に会いに尾道から上京するが子ども達は両親を疎ましく思い、戦死した次男の未亡人だけが2人に温かく接する…というあらすじなんですが、子どもたちは皆、仕事や家庭があるから仕方がない、という描かれ方なんですよね。長女役の杉村春子が1人悪役めいたキャラだけど、この人も、しっかり者で何でも手際よく処理していくという、長女気質なだけで。
でも、長男と長女はこの両親(特に父親)に対して彼らなりの遺恨を持っているのではないかしら、と、今回再見して初めて気づきました。

笠智衆演じる父親が、「昔は大酒飲みだったが、末っ子の京子が生まれてからはピタッとやめた」という長女の語りがあり、また、長男も、両親に対してなんとも他人行儀な物言いで、この長男と長女にとっては、両親への感謝とともに、迷惑を被った記憶もあるのではないかな、と。

年老いた両親は、今は穏やかでおとなしくて、子ども達が歓迎してくれなくても怒ったりしないし、後で控えめに「あの子はもっと優しい子だったけどなあ」というだけ。互いに「私たちは幸せだった」と言い合うシーンは切なかったし、私が子どもの頃イメージしていた「大人像」そのままでした。

この作品では、血のつながりのない、次男の未亡人(原節子!)がただただ姿も口調も美しく、老夫婦の東京での女神さまのような存在。最後には心中を吐露するシーンもあるけど、そこまでは、ひたすらしとやかに尽くす…登場人物たちが皆、「本当の本音」を言わない、けど、中盤以降それがじりじりと崩れてくる…それがめちゃくちゃリアル。
そんな中、原節子だけは他の子ども達より一歩引いた目線ですべてを包み込むように見ている。そんな女神さまも最後に美しく本音を語るのだけれど。

家族といえども他人だし、双方の思惑が一致することなんて殆どない。

親子関係が緩やかに自然に逆転していくのが理想だと私は常々思っていて、でも逆転した後、親側は複雑みたいですね・・・自分がずっと子どもの面倒を見、守ってきた筈なのに!子どもに迷惑はかけまいと思っていたのに、なぜ?と。

そうやって順送りというか歴史は繰り返されるというか。

生きてきたようにしか死ねないというか。

親子関係やその他の人間関係って、生きていくうえですごく大事だけど、それって絶対でも永遠でもないから、どこかで「そういうもんだよなあ」ってアタマでだけでも思うようにしないと、「その時」が来た時きつい。
若い頃は「その時」のことなんて考えたこともなかったけど、絶対来るし。そして「その時」は年の順とかじゃないから。自分の思い通りにならない事象の最たるものが「その時」!

「東京物語」は終戦から8年後のお話です。

この時代に尾道の実家から東京(1人は大阪)に出て仕事している子ども達ってすごいし、その子どもたちに会いに、汽車で15時間かけて上京する両親もすごい。そしてその上京が結果、子ども達への巡礼の旅になったことも恵まれている家族だなあ、と思いました。

悲しいラストではあるけど、若い人たちの希望も感じられました。

そして序盤と最後に出てくる香川京子かわいい!

原節子と香川京子のツーショット素晴らしい!

ゆとりらYOGA

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