映画「愛と法」を観ました
9月22日からシネ・リーブル梅田で公開中のドキュメンタリー映画。
大阪の下町で法律事務所を営む弁護士の男性カップルを追ったドキュメンタリー。弁護士のカズとフミは大阪で「なんもり法律事務所」を経営している。2人は仕事だけでなく、プライベートでもパートナーであり、2011年にみんなに祝福されて結婚式を挙げた。そんな2人のもとには、セクシュアル・マイノリティ、養護が必要な子どもたち、戸籍を持てずにいる人、「君が代不起立」で処分された先生、作品が罪に問われたアーティストなど、さまざまな困っている人たちが全国から相談にやってくる。(中略)2017年・第30回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門作品賞、第42回香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞作品(映画祭上映時タイトル「Of Love & Law」)。(映画.comより)
ミニシアター系とはいえ、東京より大阪で先行公開って珍しいんじゃ・・・と思ったのですが、主人公の2人が大阪・南森町の弁護士さんだからかな。
チラシを見て「これ絶対面白いやーつー!」って思いました((´∀`*))
私は近しいところにLGBTの人がいるので、その人のことを少しでも理解したいという気持ちもありました。
でも、映画を観て感じたのは
彼らがゲイだとか、また、他の登場人物がマイノリティであること、そのものよりも、
大きな声に流されることなく、おかしいことはおかしいと言い、自分らしく生きる権利(そのことが他の人達に多大な迷惑をかけるわけでもないのに)、それを侵されずに生きていくことの難しさ。
同性婚にしても、君が代を斉唱しないことも、無戸籍の子どもに戸籍が与えられることも、当該者以外の人に何らかの迷惑が及ぶわけではないのに、やたらと法の下にケチがつく。
憲法第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
と謳われているのにですよ!
※「公共の福祉」の解釈については諸々ありますけど、いずれにしても「個人の生命、自由及び幸福追求」の権利より、公が優先されるはずはないですよね。
生まれてきたままの性別に疑問を持つことなく、適齢期と言われる年代で結婚し、子どもを作り、貯蓄をし家を買い、世間的な信用を培ってきた人生。それはそれでとても価値あるものだと思うけど、だからといって、そうしなかった人達は不幸になっても仕方ない、なんて考え方はナシでしょう。
人は、それまで持っていた価値観がひっくり返されるような変化を認めることが出来ない。
認めることが悔しく、また恐ろしい。
だから、今までの価値観を維持するためなら、当該者を傷つけても良いと思っている・・・というより、自分の言動が相手を傷つけているということにすら思いが及ばないのでは?
でもそんな人達だって、いつか立場がひっくり返る可能性があるんですよ。マイノリティになる可能性があるんですよ。
主人公の2人と依頼人の人達は、「大勢に従う」のではなく「自分の頭で考える」「自分の判断で行動する」という当たり前のことを教えてくれているように感じます。
あと、南弁護士の家族や、中盤から彼ら2人と同居することになる少年も、とても柔軟でしなやかな感性を持っている。
辛いことも多いだろうけど、しなやかな繋がり、温かな繋がりがあれば前を向いていけるんだなと。
力は弱くても
時間はかかっても
自分の頭で考える
自分の判断で行動する
それに法がついてきてくれたら素晴らしいんですけど!
この映画を観た翌日に、全く違うタイプのドキュメンタリー映画「おだやかな革命」を観たのですが、原子力エネルギーから離れるために、自分達の出来ることから始め、生活そのものを見直していくプロセスも、やはり同じことが根っこにあるんだなと思いました。
今日の朝日新聞に大きく取り上げられていました。ヒットするといいな。
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