「二十歳の原点」高野悦子著
この本が出たのは、新聞広告か何かで知ってはいました。
見たいような、見たくないような…
でも先日、書店で見かけてしまったので、ぱらぱらと立ち読み。
原作そのままではなく、今の大学生が、昭和40年代にタイムスリップしちゃって、高野悦子と行動を共にする、という「王家の紋章」スタイル(о´∀`о)
最初のうちこそ、なんじゃこりゃ…って感じで読んでいたんですけど、高野悦子が原作の口絵の写真そのままで、ああ、こんな風にビジュアル化されるのもありかも、と。
巻末には、企画協力として、新潮社と、それから高野という名字の男性名がありました。想像ですけど親族の方でしょう。
きちんとしたプロセスで出た本だと思います。
捲っていたら久しぶりに原作読みたくなって、帰ってすぐ本棚へ直行!
私が持っているのは平成3年発行の32刷。でもこれ何冊目かなんですよね…引っ越しでなくしたり貸したら戻ってこなかったりで。
でも何度か買い直してずっと手元にあります。
独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である(1969.1.15)
醜さをみつめて、美しさを愛すること(1969.5.10)
なぐられたら殴りかえすほどの自己愛をもつこと。(1969.6.19)
今の私は二十歳の倍以上の歳になってしまっているけど、自分の中の「二十歳の原点」を、幾つになっても忘れたくないと思っています。
その原点を心の奥底にいつも敷いておけば、誰と関わり合っても、芯の部分ではブレずに済むと思うので。
愛想笑いや不用意な言葉を発した反省も、原点があればこそ、と感じます。
著者の高野悦子は昭和24年生まれで、今生きてたら70歳。若い…!
20歳でこの日記を残して鉄道自殺してしまったのですが、最期に向かって生き急いでいく様子、胸の内に絶望を見つけてしまう様子が、読んでいて辛いです。
最後にある、お父さんによる「高野悦子略歴」も壮絶。自殺した娘の生い立ちが綴られており、その淡々とした筆致から、逆に残された家族の苦しみが立ち上ってくるように感じます。
本や映画は、若い時に経験して、それをトシいってから再経験して認知が変わる!ってことが多いから面白いですね。
読むこと、観ることそのものの楽しさに加えて、自分の中で無意識のうちに熟成されていく楽しさがある。辛さや悲しさも含めて最終的には楽しさに帰結する。
本当は、すべての経験がそうなんだけど…脳内の「棚」に出し入れしやすいのはやっぱりこういうものたち。
「二十歳の原点」には姉妹本もあります。
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