反抗期という名の事象について


最近、というか以前からですが、友人やYOGAのお客様から「子育ての悩み」のお話を聴く機会があります。

私自身、現在17歳の息子を持つ母親で、小2~小4~中2…と、いわゆる「難しい時期」をあたふたしながら過ごしてきましたので、今悩んでいるお母さん方のお話を聴いて、あ~うちもそうだったそうだった!等、心の中で反応しています。勿論、反抗の形もその受け止め方も人それぞれなのですが。

自分と息子のことを振り返って思うのは「すべてにおいて距離が近過ぎたなあ」ということ。

私は、息子が4歳くらいの時からYOGAの勉強を始め、学んだうちの「意識化と客観視」の視点で自身を観た時「あ、今、私は息子を利用しているな」と思う瞬間が何度かありました。

それはあまり詳しくは言えませんが、例えば、自分の欲求を、これは子どもの為なのだから、という理由付けをして通そうとしたり、ということです。

そして、子どもの自我が芽生え切れていないカワイイ頃は、その欲求は簡単に押し通すことができますが、段々そうはいかなくなる。

母は、自分の欲求が通らないことだけでもイラっとしてるのに、そこにもってきて、目の前の子どもは、あの頃のかわいかった子ではなく、身体も心も大人になるべく現在変態中!の別人のような存在で。

勿論そこに絶対的な愛情と絆を感じているのは大前提。

でも、その上に被さる様々な母の「思惑」「期待」が、お互いをしんどくさせているんだなあ…と、気づくのはすべてが過ぎてから(。>ㅅ<。)

だから子どもは悪くない。子どもは被害者である!
と、子どもを引っ掻き回した母である私は思います。

子どもに近づき過ぎない方が良い、と自分の経験上思います。

遅かれ早かれ、反抗期はあります。

子どもの存在が自分のすべて、や、子どもは私のいうことを聞くのが当たり前、的なスタンスでいると、本当に辛いです。

子どもは何も悪くなく、大人になるために藻掻いているだけなのに、母が今までの自分を全否定されたように受け止めるのは誤認知です。

自分はそんなことない、仕事(あるいは他にやるべきこと)を持っているし、子どもにべったりのそんな依存体質じゃない、子どもの自主性を尊重したいと思っている、といくら頭で思っていても、いざ反抗期に突入すると脊髄反射してしまう…私だけかと思っていましたが、いろんな方のお話を聴いているうちに、これって「あるある」なのか!?と思い、またそう思うことで救われました。

子どもとの距離って、物理的なことじゃなくて、多分に精神的部分が大事なんじゃないかと。
愛情という基盤の上に、私は私、あなたはあなた、というスタンスをとることって、私の親がしてくれていたこと。
だから自分にもできるんじゃないか、と今の自分は思っています。

子どもが反抗期に突入した暁には、心の中でお赤飯ブチあげるくらいの余裕があると良いね!私は慟哭したけどね(゚ノ´Д`゚)ノ゚

YOGAの智慧を子育て中の自分に活かしきれなかった自分は弱かったなあ、と反省しきりですが、でも、まだ息子は未成年ですし、家を出ていくまで多分あと数年ある…全然過ぎ去ったことではなく、この後もう一山ふた山、やってくるかもしれません。

その時はもう少し余裕をもって、彼の言動を尊重したい。

自分を含め、誰のことも責めずに。

↑息子が小さい頃描いた絵が出てきました。とらだね。
今でも絵は好き。少し前おじいちゃんに「液タブ」とやらを買ってもらっていました。

ゆとりらYOGA

兵庫県西宮市の自宅スペース他、あちこちで、ヨーガ療法を主体にした YOGAをお伝えしています。 お問合せは、下のメールフォームか、 yutorelayoga☆gmail.com(☆を@に変えて下さい) までどうぞ。

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