映画「精神0」を観ました
コロナ禍の間、「仮設の映画館」で上映していた作品ですが、やっぱり劇場で観たいと
ずっと我慢していました。想田和弘監督のドキュメンタリーです。
ドキュメンタリー監督の想田和弘が「こころの病」とともに生きる人々を捉えた「精神」の主人公の1人である精神科医・山本昌知に再びカメラを向け、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でエキュメニカル審査員賞を受賞したドキュメンタリー。様々な生きにくさを抱える人々が孤独を感じることなく地域で暮らす方法を長年にわたって模索し続けてきた山本医師が、82歳にして突然、引退することに。これまで彼を慕ってきた患者たちは、戸惑いを隠しきれない。一方、引退した山本を待っていたのは、妻・芳子さんと2人の新しい生活だった。精神医療に捧げた人生のその後を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出す。ナレーションやBGMを用いない、想田監督独自のドキュメンタリー手法でつくられた「観察映画」の第9弾。(「映画.com」より)
2時間を超える長編。
私は前作の「精神」を観ていないので、予備知識なし、という状況。
しかも想田監督作品はいつも、音楽なし、ナレーションや字幕もなし、ただ淡々とそこに在る事象が映し出される「観察映画」。
でも、この監督の作品は「選挙」「選挙2」「牡蠣工場」「ザ・ビッグハウス」と観ていて、どれもめちゃくちゃ面白かったので、今回も期待してました。
いきなり診察室のシーンの長い長いシーンから始まります。
患者さんたちが皆、主治医の山本先生が引退されることに驚き、不安がり、縋ります。
1人目の患者さんが、問診の様子をICレコーダーに録っている様子を見て、それだけで早くも胸がいっぱいになりました。
私がYOGAの師の講話を録音するのと一緒。大事な話を記録していつも聴いていたい。信じる人の言葉がそばにあると確認したい。
実際、患者さん方は、自分の症状を話すという感じではありません。先生の話を聴きたがったり、或いは自分の生きづらさを先生に聴いてもらいたがったり。
先生は、患者さんの言葉を遮ることなく、おっとりとした心地良い間合いで少ない言葉を発する。
障碍者手帳を申請するかどうか迷っている人が先生に意見を求める場面。
「…それはな、あなたが手帳を持ってる人に偏見がないなら持ったらええと思うよ」
メリットデメリットの話ではない、相手の心の湖に大きな水紋を広げるような答え。
映画の後半は、山本先生の仕事場からおうちの中へと移ります。
奥様が認知症のようで、静かににこにこしているけど、家事などは出来ないご様子。
先生は、この先、奥様と2人の生活を大事にするために82歳で引退されることになったようです。
(こういう情報はフライヤーに少しは載っているけど、映画では説明がありません)
おうちの台所や応接間、よそのおうちに伺うシーンまで、以前はきっと奥様主導で、先生がいなくともすべててきぱきとこなされていたに違いない。
ラストのお墓参りのシーン。
82歳の先生の運転というだけでもハラハラするのに、物凄く足場の悪い墓地に向かい、お墓を掃除する先生の動きと、よちよちとそれについて行く奥様。
2人がおぼつかない足取りで急な坂や段差を歩く様子と、ぜいぜいはあはあという荒い息だけが延々と映し出され、それを観ながら気づいたら泣いていました。
手を繋いで足元に気をつけながら寄り添うお二人がとても美しく見えて。
そして同時に、何だかいろんなことを考えてしまって。
なぜ2人だけでこんな危ない場所に行くのだろう?
私の両親ももう何年かしたらこんな風な足取りで墓参りに行くのだろうか?
もし私がこれくらいの年まで生きることができたら、少しずつ自由に動かなくなる肉体を持って何を考えて過ごすだろう?
映し出される事象以外に情報はない。
想田監督が観察している映像を観ている。
その映像は見ている観客の胸に様々な感情を起こさせる。
実はこの作品、大阪の第七藝術劇場で観て、翌日、そのナナゲイさんが主催するオンライン・シネマ・ファンミーティングなるものに参加し、たくさん感想を語り合いました。
いつも1人で映画館に行き、感想はPCに打ち込むだけなのだけれど、見知らぬ人とああじゃこうじゃ言うのって楽しいなあ!
オンラインだと緊張感も半分くらいで、、映画もこのファンミも、すごく良い時間でした。
0コメント