「哀しすぎるぞ、ロッパ ~古川緑波日記と消えた昭和」(読書感想)
映画も本も、ドキュメンタリーや評伝、実録ものが大好きです。
昭和初期から戦後にかけて活躍したという、古川ロッパの評伝を読みました。
この人のことは、勿論リアルタイムでは知らなくて、私の親も全盛期には間に合ってない世代。それくらい昔の人。
古川ロッパは、生前、膨大な量の日記を書いていて、1980年代に晶文社から箱入り大判で計4巻発行されました。
(全巻揃えるとめっちゃ高額で、買うのは諦めましたが、20代の頃、図書館で借りて読みました)
今回読んだのは、この日記の重要な部分を辿りながら、ロッパの伝記としてまとめられたもの。
私は、30年近く前に小林信彦氏の「日本の喜劇人」を読んで、エノケン・ロッパに始まる日本の笑いの系譜を知りました。この本は今でも版を重ねてるはずで、喜劇人のニュースターとして、欽ちゃんやたけし、タモリが登場したあたりで終わっています(その後続編も出ました)。
エノケン(榎本健一)については、だいぶ前ですがリバイバルブームのようなものが一時起こって、再編集されたCDが出たり、当時の歌やフィルムがCMで流れたり、という記憶があります。
でもロッパはそういうのがなかった気がする…学生時代、昔の喜劇人の作品に興味を持って、映画のイベント上映で観たりはしましたが、正直言って、面白いの?これが?めっちゃ流してるやん…みたいな映画ばっかりでした。
今回この本を読んで、彼は戦中~戦後、沢山の映画に出ているけど、殆どの作品が生活の為に嫌々やった仕事で、日記の中で、脚本にも自分の役にも文句ばっかりつけてたことが分かりました。つながった!
とにかくこの人は、生まれ育ちが良くて(お祖父さんが男爵)、早熟、高校生の頃から文才を発揮し、宝塚歌劇の父、小林一三に誘われて役者の道に…という、エリートがちょっと違う道に進んでみたら日本一の喜劇人になっちゃった、という人生。
お金の心配も計算すらもしたことがなく、順風満帆だったのに、戦後、時代の風向きが変わると、人気が凋落し、それまで何かと横暴だったことから周りの人達からも背を向けられて、最後は糖尿病と結核…
こうした一生が、膨大な日記の中に記録されている壮絶さ!
毎晩寝る前に少しずつ読んでたんだけど、人気が落ちて、病魔に侵されてからの描写がアリ疑獄みたいで、途中からは止められなくなってしまいました。
実在の人物だし、亡くなった事は分かってるんだけど、「ここでまだこんな意地を張るのか」とか「もうその身体で仕事行っちゃだめでしょう」と、ハラハラしっぱなしで…
そして晩年のロッパは「日記をつけている瞬間が、天国」で、「日記は俺の情熱、そして業」であるとまで書いています。
亡くなる10年前から喀血が始まり、禁煙を決意してはそれを破る、その繰り返しが克明に日記に綴られて、読んでいて本当に狂おしい。アリ地獄みたいと感じたのはこういう部分。
ロッパは日々克明な日記をつけて、自身と状況を冷静に見つめているように見えて、実は日記を書くという行為に依存している様子が恐ろしくもあり、また、ちょっと分かるような気もしました。
逃避としての日記。
だけど創作や妄想ではなく、ひたすら記録としての日記。
記録マシンになる自分。怖いな。
調べたらこんなムックも出てました。読みたい。
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