「ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言」(映画感想)
これは、ナチスのホロコーストの被害者…ではなく、当時ナチスを支持していたドイツ人のインタビュー。当然のことながら皆高齢者で(かなり前に撮ったと思われるような映像もあるけど)、でもカメラの前で話すんだから、皆さん一家言ある人ばかり。
中で1名印象的だったのは、話しているうちに、「あれ…?そういえばあの時ユダヤ人は辛かっただろうな…とすると…我々のしていたことは間違っていたのか?」と気づいていた男性。
当時の記憶を言語化することで、被害者側の苦しみを想像することが出来たのか、と。
それにしてもそこまでの年月長過ぎ…と思ったけど、きっと自分の気持ちに蓋をしていたんでしょう。人生の終盤に、さすがにこのままではいけないと思ったんじゃ…。
当時の自分の行動を悔いて、語り部として生きる人も出てきたけど、大方の人達が、
「自分は戦地の前線にいたから」「自分は事務方をしていたから」…だから「自分は手を下していない」、と続く。
収容所の隣に住んでいた男性の証言で
「脱走してきた人がよくうちの納屋に隠れてたよ。」
インタビュアー「で、どうしたんですか?」
「通報したよ。連れて行かれてたよ。」
インタビュアー「その後彼らはどうなったかご存知ですか?」
「…知らん。」
で、この男性も「自分は何もしていない。手を下した訳じゃない。」と言う。
周りが皆やってたから
軽い気持ちで
何も知らなかった
「理念」や「ポリシー」というものがあっさり脇に追いやられてしまう恐ろしさ…
(何だか今も同じような感じなのでわ😱)
だけど、当時を潜り抜けてきた人達にとっては、「自分だけではない。皆そうだったんだ。だからそうするしかなかったんだ。」と自身に言い聞かせなければその先の人生を生きていくことが出来なかったのでは、という気もします。
どういう思想を持っているにしても、長生きをし、証言をすることには大きな意味があると感じました。
個々が己の間違いを認めなかったとしても、歴史が紡がれれば、その結果は現れる。
でも自分は、生きているうちに間違いを認める人生を送りたいなと。
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