明日10月28日(日)は北名次レッスンあります&映画「ボルグ/マッケンロー」を観ました
明日28日は、ご要望頂きましたので北名次の自宅スペースでレッスン行います。まだお席ありますので、平日はお仕事の方や、お子さんをパパさんに見て貰える方など、是非お越し下さい。
先日、映画「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」を観ました。私、テニス弱者で全然わからないんですけど、世代がどんぴしゃなのでこの2人の名前は知ってました。あと、マッケンローはテイタム・オニールと結婚したので(「ペーパー・ムーン」「がんばれ!ベアーズ」大好き!)、テニスプレーヤーというよりハリウッドスターの旦那さんってイメージ・・・
この映画のハイライトである、1980年ウィンブルドンでの決勝戦も結果を知らないので、めっちゃドキドキしながら観ました。
この一戦で2人の内面の変化(特にマッケンローの精神力の成長)が丁寧に描かれていて、観終わった後は、悪童マッケンローに感情移入してしまいました。でもあくまでもこの映画の主人公はヴィヨン・ボルグです。
決勝戦のロッカールームで2人がベンチで試合を待つシーン。壁に、
If you can meet with Triumph and Disaster and treat those two impostors just the same.
(字幕:栄光も挫折も虚像として等しく扱えるならば)
という言葉が掲げられています。
この字幕を読んだ時、思わず
「これ・・・バガヴァッド・ギーター?」とΣ(゚Д゚ノ)ノ
鑑賞後、検索してみると、これは、英国の小説家・詩人ラドヤード・キップリングによる詩「if-」(1895)の一節だそうです。
当時幼い息子への人生の訓示という形で書かれていて、たくさんの「if(もし)」が羅列された後、最後に
「(もしそうできたならば)この地と、そこにあるすべてはお前のものだ。息子よ!」
と続きます。
バガヴァッド・ギーターには、
第2章38節
幸と不幸 損か得か また勝敗のことなど一切考えずに
ただ義務なるが故に戦うならば 君は決して罪を負うことはない
第2章57節
善を見て愛慕せず 悪を見て嫌悪せず
好悪の感情を超えた人は 完全な智識(ブラジニャー)を得たのである
第3章19節
故に仕事の結果に執着することなく ただ為すべき義務としてそれを行え
執着心なく働くことによって 人は至上者(かみ)のもとに行けるのである
第6章7節
心を克服した人は既に至上我(パラマートマー)に達し いとものどかな平安境に住む
彼にとっては幸も不幸も寒暑も 名誉も不名誉もすべて同じである
第6章29節
真のヨーギーは万物のなかに自己(アートマン)を見 また自己のなかに万物を見る
まことに真理を覚った人は あらゆるところを同等に見る
第12章17節
どんな事物にも喜ばず悲しまず こうあって欲しいとも欲しくないとも思わず
吉凶禍福に超然として心動かさぬ者 このような人をわたしは愛する
第14章24節
真我に定住して幸と不幸を区別せず 土塊も石も黄金も同等に視て
全ての事物に好悪の感情を起こさず 賞賛と非難 名誉と不名誉に心を動かさぬ者―
第18章9節
アルジュナよ 名誉や利得に関心無く 仕事の結果に何の執着ももたず
ただ自分のなすべき義務を果たす人は サットワの離欲を行じているのだ
第18章26節
我執 私心なく しかも 確信をもって 熱心に仕事して
成功にも失敗にも心を動揺させない そのような行為者はサットワである
という具合に、
栄光も挫折も虚像として等しく扱えるならば・・・そこにあるすべてはお前のものだ
と同じ意味のことを言っています。
キップリング氏がこの詩を書いたのは今から123年前。
バガヴァッド・ギーターはヴィヤーサによって紀元前5世紀頃~紀元前2世紀頃の間に書かれたと言われています。
(※今回調べたら、wikiでは、ifはギーターの抄訳だと批判している人がいるそうで・・・)
確かに同じこと言ってますけど、ギーターは聖典だから、インスパイアという域に留まるような気もします。
このif、全文読むと、美しいなあ!すごく有名らしいですが知りませんでした。
ご興味ある方は検索してみて下さい。
日常にあまねく悲喜こもごもも、虚像として等しく扱えたら、穏やかな日々でしょうね。
今ここで起きていることは虚像であると・・・そこまで達観は出来なくても、1歩引いた冷静な視点で見ることは、実生活にも必要な智慧だと思います。
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