「独り居の日記」(読書感想)

荻窪の本屋さん「Title」さんのTwitterで、この、メイ・サートン氏の名を知り、初のエッセイ集(といっても1991年発行)を読んでみました。

30年以上前に58歳だった詩人で、小説家で、随筆家の女性の日記。


 私はへそ曲がりだから、往々にしてつきあいにくい存在になる。私にがまんのできないこと、私を猫のように尻尾をふくらませて怒らせるものは、気取り、独善(ひとりよがり)、言葉のはしばしに見えてくる卑しさである。私は魂の卑しさと粗野を憎む。意味のない冗舌を情熱かけて憎む。なぜだろう?たぶん、今の私にとって、他の誰かとの出会いは、衝突を意味しているからだろう。それはいつでも、高価につくが、私は時間を無駄にしたくない。戸外にいることは時間の無駄にはけっしてならないし、少時間憩いをとることもけっして無駄にはならない。その時こそイメージが浮かんできて、私の仕事の計画が生まれるのだから。でも、社交的な外面だけでの人づきあいは、時間の無駄だ。ほんとうの人となりを見抜こうとして、私はあらゆる努力を傾けるが、それができないときは心が落ち着かず腹を立てる。無駄になった時間は毒を持つ。

(P25 9月28日 太陽(ひ)が出ている.)


最後の一言「無駄になった時間は毒を持つ」という言葉はすごく痛い…

今この時間って無駄だよなあ、とその時に自覚できる時はまだ良い方で、さんざん楽しんだ、有意義だったと思い込んでいたけど、後で思い返すと無駄だった、ということだってある。その時、いやいやあの瞬間は楽しんだんだから良しとしようじゃないか、と思うか、自分の思い違いに嫌気がさすか、で、自分の記憶はまた塗り替わる。
自分がひとたび「無駄」と断じた時間は、その時間を後悔する時間を浪費する、という入れ子式な意味で、毒になるのでしょう。

この人が描く憎む理由としての「気取り、独善(ひとりよがり)、言葉のはしばしに見えてくる卑しさ」「魂の卑しさと粗野」「意味のない冗舌」は、過去の自分に(そしてしばしば今も!)心当たりがありまくるのですが…それを内省する自分というものもいるので、それって結果、自分で自分を憎んでいるのかなあ私は、などと大変に考えさせられる文章でした。

 

 今朝は泣きながら目をさました。六十近くにもなって、人は自分を大きく変えることができるだろうか?私はいったい、意識のずっと下で生まれた怒りや敵意や相反する感情などを統制することを学ぶことができるだろうか?それができなければ、私は愛している人を失うだろう。私にできることといえば、瞬間瞬間を、一時間一時間を、生き続けることだけだーーー小鳥に餌をやり、部屋を片づけ、たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を創造することだ。

(P35 10月5日 目をさますと、)

この人は、本のタイトル通り独りで暮らしていて、しかも当時パートナーだった女性との関係が悪くなっていたようで、日記は全体的に暗いトーンの描写で成り立っています。

この時のメイ・サートン氏は、今の私より5歳上。60近くなっても自分を変えたい、学びたいという野望を持ち続けられることに感動します。この箇所を読む限り、彼女が学びたいのはYOGAの智慧であり、そしてマインドフルネスの必然性を感じているのだと思います。

 

 政治家に関するかぎり、〝全きこと(ホールネス)〟というのは、自分の言葉で語れるかどうかと関係がある。ドゴールは〝草稿屋〟をやとったりはしなかった。そんな考え自体がグロテスクではないだろうか。自分にかわって他者に語らせるリーダーなぞ、リーダーとはいえまい。ニクソンを通して喋っているのは誰だ?この句やらあの句やらを書いたのは誰だ?誰にも確かなところはわかりはしない。ニクソンとアグニューは操り人形になる。彼らを操っている腹話術師は誰だ?ものいわぬ大多数なのか。世論なのか。あるいは票を投じるであろう想像上の大衆なのだろうか?その差異を知るには、こういった雰囲気を、民衆に選ばれた代表というより、まるで王のようだと批判されるドゴールと比べてみるだけでよいだろう。

(P64 11月11日 昨夜は長いこと……)

これはドゴール死去の時の日記。私はドゴールさんって空港の名前でしか知らないのですが、この文章は、今のどっかの国の政治家をめぐる状況と一緒では?
(アグニューというのはニクソン政権の副大統領です。ニコイチで悪態(((c=(゚ロ゚;)


↑ 次はこれを読みます。

ゆとりらYOGA

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