別れの記憶について
もうお盆も過ぎてしまいましたが…
4年前の7月に、従兄弟のKちゃんが亡くなった時のことを思い出しました。
Kちゃんは、私より3歳上で、亡くなった時は52歳。
あまりに早すぎる死で、連絡がきたときはびっくりしました。
その数年前に倒れて救急搬送されたことは知っていましたが、その後退院したと聞いてましたし、そんなに重篤な病とは知らなかったので。
実家の母から明け方に「たった今Kちゃんが亡くなったんだって…」と連絡があったその日は、私はヴェーダーンタのリトリート参加で福井県の永平寺に行く予定でした。
その電話を受けてびっくりしたのと同時に、作ってあった荷物に喪服を詰めて、行き先を福井から埼玉に変更しなければ…と、考えました。
でも、その後、何回かの電話のやり取りの後、いろいろあって葬儀が4日後になったから(亡くなったのは3連休の初日でした)、と聞いたので、予定通りリトリートに参加して、一旦帰ってから葬儀に向かうことに。
その時点では、もちろんKちゃんが逝ってしまったことは悲しいけれど、予定を変更せずに済んだことに安堵しました。凄く迷って思い切って参加を決めたリトリートだったので。
何とも言えない気持ちを抱えて永平寺に向かいましたが、若い修行僧の方から、曹洞宗の教えを聴き、広間でヴェーダの祈りやチャンティングに参加しているうちに、Kちゃんがすぐ身近にいるような不思議な感覚が生まれてきました。
単に、亡くなった彼のことを思い出している感じともちょっと違う…永平寺の鎮守の杜にKちゃんの存在がすんなり嵌るような。
(その時は、Kちゃんの家は埼玉のすごい田舎だったので、緑の多いところが似てるからかなあ、くらいに思っていたのですが)
心が揺れたり、子どもの頃一緒に遊んだことを思い出して寂しくなったり、と、リトリート中は様々な思いが錯綜しましたが、スワミジや参加者の皆さんに打ち明けて温かい言葉をかけて頂いて、とても実り多い時間が終わりました。
福井から帰ってすぐに、喪服を持って埼玉へ。
斎場には、沢山の人が集まっていました。
そして、そのお葬式は、なんと曹洞宗で、盛大に本格的に執り行われました。
Kちゃんがずっと永平寺にいたような感覚にやっと合点がいきました。
私にとって、実家や親戚の宗教は所謂葬式仏教でしかなく、大人になってYOGAを知るまでは、宗教や信仰について深く知りたいと思う機会は全くありませんでした。
そういうことに意識が向いて、初めて参加したリトリートが永平寺、そして直後に参列した式が、その永平寺を総本山とする曹洞宗。しかもKちゃんの両親は大変熱心な信者さんのようで、2人とも絡子(略式の袈裟)を身に着けていました。
Kちゃんは、小さい頃はよく一緒に遊んでくれる、頼れるお兄ちゃんでした。天真爛漫で、屋根の上に鳩小屋を作ってレース鳩を飼ったり、ハム無線を始めたり…と、ザ・昭和の男の子、って感じで、遊びに行く度に羨ましく思っていました。
でも、大人になってからの彼は、仕事のことや、家族関係でしんどいことも多かったみたい。亡くなった時は、なんと自分の歯は2本しか残っていなかった、と後から聞きました。だからお豆腐とか柔らかいものばっかり食べてたって。
私と疎遠になってからの30年くらいの間に、彼の道はどの方向に進んだんだろうか。
自分と3つしか違わない彼が、伯父伯母や私の両親より先に逝ってしまうなんて想像すらしていなかった。
Kちゃんは、私の永平寺行きをいざない、絶妙のタイミングで別れの時をくれたんだと、私は今でも真面目に信じています。
↑4年前の永平寺リトリートの様子はこちらです。
0コメント