客観と模索とYOGA
2017年の公民館レッスンは、先週から始まっています!
明日も、9:10~と10:35~の2回、レッスンあります。
どちらも若干お席ありますよ。
年末年始で、身体が重くなった・・・硬くなった・・・首や肩が凝ってる・・・等々、自覚ある方はぜひどうぞ!
また、今年も引き続き、短い時間ですが瞑想を行っていきます。今年の希望や誓いを心で唱えながら、静寂の時間を過ごしましょう。
ところで、
去年末に某ラジオで某パーソナリティが言っていた言葉が響きました・・・
「客観っていう概念が本当にあるのか(略)
客観っていうのは実はフィクションで、世の中46億人分の主観があるだけって感じ?」
※多分この方は地球の年齢と人口を勘違いしているんだと思うんですが、意味はわかりますよね。
私はこれを聴いた時、東日本大震災の後、北野武氏がインタビューで語ったという言葉を思い出しました。
「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。(略)
そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」
私達は、「客観」「一般的」「普通は」等の言葉で、いろんな事例をまとめてしまいがちだけど、一人ひとりの出自も環境もすべて違う。同じ人生はない。
そう考えると、自分の人生も、他者の人生もすべてハンドメイドのオリジナルということになり、多勢に寄っていくような生き方が良いわけではない、ということに気づきます。
(ここで大事なのは、良しと思って生きていたらそれは多勢側だった、ということと、多勢だから良しと思って寄って生きていくのはまったく違うということ)
YOGAをしていると(特にYOGA哲学を学んでいくと)、自分にとって本当に大切なものは何か、その答えの片鱗が、少しずつ少しずつ見えてくるような気がします。
肉体的な強さや美しさも、物質的な豊かさも、勿論無視はできないけれど、でも、それらがなくても幸せに生きる方法はあるのです。
そして、その方法を模索し続けるのが人生なのではないかと思います。
YOGAのアサナ(=ポーズ)は、痩せるためや体力増強のためにあるのではありません。それらは練習する間にもたらされる「おまけ」に過ぎません。すっごく嬉しいおまけですけどね!
身体や物質から自分自身を引き離して「ほんとうのほんとう」を探るのがYOGAです。
アサナはそのための1つの手法です。
今年もゆっくり、ほんとうのほんとう を探っていきましょう。
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