コドモの言葉より
息子が中学生になってからは、彼のことをあまりブログのネタにしないように心がけてたんですが(とか言って少し前に書きましたけどヾ(ω` )/)
つい最近、ちょっと震えるようなことがあったのでここに書かせて下さい。
息子の発言。
以下要旨箇条書き。
・僕が小学5年生くらいの頃の話。
・授業が面白くない時、黒板を見ながらぼ~っとしていると、段々周りがぼやけてきて、自分の意識が過去に遡っていく。
・自分が小さくなっていって、自分が命を授かったところまで戻る。
母「命を授かったっていうのはお母さんのお腹から出てきたときってこと?」
息子「そうじゃない。お母さんの身体の中に命としてあらわれたってこと」
母「・・・!・・・」
・で、その時に、もしこの命が自分の命じゃなかったら、僕は、今ここにはいないんだなと思う。
・僕じゃない別の子がこの家の子になってるんだと思う。
・僕は違う家の子になって、今とは全然違う生活をしているんだろうと思う。そうしたらお父さんやお母さんには会っていないかも。
母「僕は生まれて来てないかも、とは思わなかった?」
息子「う~ん、どこかにはきっと生まれて来てると思う。どこかは全然わからないけど」
・なんてことを考えているとチャイムが鳴って、授業が終わったんだと気づく。
・でも、この経験は小学生のときのことで、中学に入ったらこんな風に思うことはなくなった。
・あの日の感覚はすごく不思議なのでまたこないかなあ、と思う。
・・・うまく言えないんですけど・・・
誰に教わったわけでもないのに、過去世退行瞑想の世界に入っていってる・・・!
私はYOGAを仕事にしていて、瞑想も日常的に行ってはいますが、息子はそのことを知りませんし、YOGAの智慧を具体的に彼に伝えたことはありません。
だから、べつに母への「サービス」的な思いでこの話をしてくれたわけではないと思うんですよ。本当に、ふと思い出したんだけど・・・って感じで話してくれました。
彼のこの体験がどこまで事実かは正直分からないんですが、これが空想(もしくは妄想)だとしても、すごくいい!と思うのです。
命の不思議さ、とか、自分はなぜ今ここにいるのか、というような根源的な問いが、彼の心の奥底にきちんと置かれているんじゃないか、と、親の欲目かも知れませんが、なんだかとても嬉しい。
まあもちろん、授業はちゃんときけよ、とは思いますがヽ(´□`。)ノ・゚
でもこういうことは、学校では教えてくれないものね。
傍目に見えるような突出した何かがなくても良いし、世間一般で言われるような「出来る子」でなくても良いので
この奇跡の感覚の欠片だけでもいいから、大人になっても持っていてほしいと思います。
(でも中学生になってからはこういう感覚ないらしいんで、やっぱり少しずつ失っているんでしょうねえ・・・)
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