親のこと、過去のこと、先のこと

同年代の友人とお茶していた時、この状況下で、70代後半の自分の親たちはどうしてる、という話になりました。ちなみに2人とも実家とは離れて暮らしています。

我が家は、17歳の息子に私の実家に行ってもらいました。
疎開、というのではなくむしろ逆で、両親にもう少し危機意識を持ってもらいたいので、孫になら、手洗いうがいをうるさく言われても素直に聞いてくれるだろうと。
まあ息子も学校に行けず暇そうなので、5日間程。

往復の新幹線も席は半分くらいしか埋まってなかったらしいし、連日のように外食したらしいんですが(それはそれでどうかとも思うけど経済を回すという点では〇)お店はガラガラ。話を聞くだけでも、うーん、東京もこっち(兵庫)とあんまり変わんないんだなあ…。

実家の隣駅にある老人ホームで、新型コロナウィルス感染で亡くなった方出たそうで、さすがに身近に迫ってきてる感覚はあるようなのですが。

いったいいつ終わるのか、とか早く終息してほしい、という言葉はよく聞くし、実際本当にそうよね、とも思いますが…このウィルスを撲滅する日が近々に来るとも思えないし、じゃあ終わるってどういうことやねん?と自分に問うてみる…。

今のような状態に徐々に慣れていって、恐怖心や不安感が薄れて、段々と、うっすら緊張感を持って暮らすことが当たり前になっていったら、それが世間的に言う終息宣言になるのかな、なんて思ったりします。

だけど、この、「徐々に」「段々と」というのが怖い。

気づいたら○○になっていた、という流れはその昔、私の祖父母世代が体験したような状況と酷似しているのではないか…。

しかも今回は、立ち向かう相手が全然違うので、憎むとか叩くとか、はたまた政治家や専門家を責めても仕方ないというか、不毛なだけ。

結局、今この瞬間に、自身の心の平安をどう保つか、というミクロレベルの話になってくると思っています。

例えば、外に出られない、とか、楽しみにしていたイベントが中止になった、等の失望感は、過去の記憶(あの時はあれもこれも出来たのに、楽しかったのに!)や、想定できない未来に対して生まれる感情。
その感情に翻弄されて疲弊して、自分は「今この瞬間」ではないものにコントロールされているのだと気づく。
じゃあ翻弄されない自分になるためには…

なんてことを、
YOGAのアサナを練習しながら、
聖典を読みながら、
マントラを唱えながら、

考える日々です。

そうそう。
友人とお茶したのは、芦屋の「ティーサロン ムジカ」さん。
堂島のお店が閉まった時はそれはそれは驚きましたが、三宮はまだあるし、芦屋で茶葉の販売もしてくれていたので、時々行っていました。
数か月前に喫茶店もOPENしたと聞いて、楽しみに伺ったところとっても賑わってまして…やっぱり美味しかったです!

ゆとりらYOGA

兵庫県西宮市の自宅スペース他、あちこちで、ヨーガ療法を主体にした YOGAをお伝えしています。 お問合せは、下のメールフォームか、 yutorelayoga☆gmail.com(☆を@に変えて下さい) までどうぞ。

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