YOGAで自分の「ふらつき」を知る
昨日・今日と、神戸でYOGAレッスンとバガヴァッド・ギーター(以下B.G)の勉強会があったので行ってまいりました。
私は普段、宅練、というか自主練的なものは主に
聖典(やYOGA本)を読む
瞑想をする
呼吸を意識する
これらをやっていて、正直、アサナ(ポーズ)を1人で黙々と・・・というのは苦手です。
どこかで習ってきて復習しないと忘れちゃう、とか、あとちょっとでこのアサナ出来そうだから頑張ってみる!とかいうことはありますけどね。
長期的に計画を立ててアサナを1つ1つ完成させていく、というトレーニング的な行為が不得手。
なんだろうなあ・・・自分の身体に期待していないというか、ある種の諦観なんだと思います。
(まあ怠惰ともいいますね ´ε`;)
でも、いやいやこれじゃいかん、「YOGAを伝える」ことを「売る」以上、きちんと「仕入れ」をしなければなりませんし、そういう商業的な義務感を抜きにしたって、自分がYOGAを続けていきたいのだから、YOGAの八支則の1つであるアサナは学ばなければならない。
というわけで、自分が「これ!」と思う先生のもとに行くようにしています。
で、ここ数回伺っているのが、うちこさんという先生のレッスン。
↑こちらは今年の6月に「B.Gをうなりながらタテノリで読む会」に行った時のブログ。
アサナはいつも新鮮で、インストラクションもこれまた新鮮。
「○○に効く」「○○が細くなる」等の、撒き餌ゼリフなしに、面白おかしく引っ張って行って下さって、汗ダラダラで終了後はぐったり・・・そして数時間後にはしゃっきり!というすごいレッスンです。
で、うちこさんのレッスンに限らず、なんですが、自分が教わる立場になって毎回思うことは、
「今、自分、周りの人と比べてるわ・・・先生は『無理しないで』って言ってるけど、もうちょっともうちょっとと思いながら形だけでも整えようとしてるわ・・・」
という自意識。
YOGAを伝える身でありながら、YOGA的な思考が身についていない、自身の「ふらつき」を感じるのはこんなとき。
自分が伝え手としてお客様と接している時は、とにかく「無理をしない」「他の人と比べない」「意識を内側に」ということを繰り返しお話します。
そして、正直言いますと、無理してたり、お隣さんと比べたりしている人のことは、すごくよくわかります(バレてます)。
だから私が教わっている時に、無理してるこの状態はバレバレなんだろうなあ、と思いながらやってます((;゚Д゚))
で、ここからなんですが。
自分、無理してる → 先生にはバレバレ → 恥ずかしい → でもアサナ作るの難しい、きっつい → 恥ずかしいとか余計なこと考えてらんない! → 無我(一瞬だけだけど)
みたいに、周りと比べたり恥ずかしいとか思える間はまだ身体的には余裕があるんですよね。そういった邪念を取り払うために難しいアサナはあるんだなと思わざるを得ません・・・
私はのYOGAはかなり緩めで(翌日筋肉痛になるという方は多いのですが)、それが自分のレッスンの持ち味でもあると思う。けど、余分なことなんにも考えず、今作るアサナに全集中!という伝え方もありなんじゃないかな、と感じたりします。
(勿論、急にきついレッスンに変えるということではなく、そういうアプローチも取り入れたい、ということです。)
YOGAを学んでいて、自分なりに、徐々に地に足着いてきた(成長した、成熟した、落ち着いた、まあ言葉はどうであれ)気になっていましたが・・・私はまだふらっふらしているなあ!
そして、今回2度目の参加「B.Gをうなりながらタテノリで読む会」も超楽しかった!
平たく言うと「読書会」なのですが、B.Gは神話、というか神さまの強引な説得、説教、といった感じのお話なので、何度読んでもその度に「おお!これよこれ!」みたいなフレーズが必ず飛び込んできます。
今回も、うんうん、わかるわかる~的なおはなし続出でした。
そして、前回同様、皆さんの話を聴く度に、この時間、この場所を共有している不思議さ&必然性の意味、みたいなものを感じました。もちろん、相変わらず持っている「ふらつき」もしっかり感じてしまいました・・・*´Д`*
今週の9日(水)は北名次レッスン、10日(木)は上ヶ原公民館レッスンあります。
外で学んできたことを自分なりに咀嚼して少しずつ皆さんにお伝えできたら、と思います。
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